わのわのゼロウェイスト暮らし雑記帳

シンプルでゼロ・ウェイストな「わ」の暮らしを目指し、おもにごみ減量のヒントを書き留める雑記帳です。

挽歌

ご無沙汰してしまいました。わのわです。

  

先週、母が急逝しました。

数々の持病の爆弾を抱えてはいたものの、普通に元気に一人暮らしをしていた母だったので、想定外に突然のお別れでした。 

 

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具合が悪いと本人から呼び出されて駆けつけてから、病院で全てが終わるまで、永遠のように永く感じましたが、終わってみればわずか数時間の出来事でした。 

 

 

 

看取りの難しさ 

生きているといえる母をみたのは、搬送先の病院でストレッチャーに乗せられICUに吸い込まれていく頭頂部が最後でした。次にICUに呼ばれた時には、すでに脳死状態、それももってあと数時間なので、身内を呼ぶように告げられました。人工呼吸器に繋がれた母の身体に対面したときに感じたのは、「全てが遅きに失した」という、この身を重機でゆっくり圧搾されるような、ひどい苦痛だけでした。救急要請するまでの諸々の判断が、全て取り返しのつかないミスだったように感じたのです。

身内への連絡も遅れ、きょうだいの一人は臨終に間に合いませんでした。ずっといた私ですら、最後に何かきくことも、何かを伝えることもできませんでした。

16年前、父が亡くなるときにも痛感したことですが、去る人を看取るってとっても難しいことです。「もう亡くなるんだ」って、送る側と送られる側の両方が腹をくくらないかぎり、静かでおごそかな看取りなんて成立しないんです。しかし、亡くなるときの状況の変化はいつも思いのほか早く、全然心がついていかないので、判断や決断がどんどん後手に回り、気がつけば取り返しのつかないことになっています。

 

いかに看取ったかよりいかにともに生きたか

でもね、これってしょうがないと思うのです。「死」がこれほど身近でない世界で、私たちの多くはよく言われる「正常性バイアス」からそう簡単には自由にはなれない生き物なのだと思います。あとから振り返って何一つ後悔しない対応なんて、人は緊急事態ではできなくて当たり前だと思うのです。

「いかにして看取るか」みたいな話を最近はよく聞きますが、そんなことを平和な日常のなかで一生懸命考えても、結局、思い描いたような看取りなんてそうそう成立しないと思います。

でも、それがなんだと言うのでしょう。長い長い人生の終わりの数時間か数日かをどう過ごすか、どう関わるかなんて、それ以前の長の年月に比べれば、本当に些細なことであるはずです。いかに看取ったかよりいかに関わったか。言い換えれば、人の生涯はいかに死んだかでなく、いかに生きたかで語られるべきです。

看取り方を考える時間があったら、生きている「今」の関わり方を考えた方がいいと思います。これは、父を亡くして以来、思ってきたことでした。だからあの日、悪くなる状況を少しもコントロールできなかった自分を、私は赦してやろうと思います。

 

母への想い

私の母は、母親失格ということはまったくないですが、それほど母親らしい母親でもなかったです。あげつらえば、見栄っ張りで、時に感情的で、自他に厳しい女性でした。この厳しさが、子供心には条件付きの愛情に感じられ、幼少のころは母を失望させることが一番の恐れでした。

若かりし頃は、自分が抱える生きづらさとか、対人関係の悩みとかの多くが、母親に起因しているような気がして、 恨みがましく思ったこともありました。

でもね、彼女のDNAを半分受けついで、彼女に育てられたのが今ここにいる私ですから、彼女の娘でない私というのはもう私ではないです。つまり、彼女こそ私のアイデンティティの実態の半分以上を占めています。だから、彼女から先天的・後天的に受け継いだいろんなもののなかで、彼女と同じ業を私が共有しているのも当然のことなんですよね。そんな、必ずしもありがたくもないものを含め、いろんな人間性を共有している彼女が、そんな業を抱えつつも彼女なりに懸命に妻や母をつとめてきたこと思うと、最近は、自分の同志だか分身だか前身だかのように思われて、よいところもわるいところも含めて、とても愛しい存在になっていました。

 

葬儀は死者のためならず

その、世界でたった一人の愛おしい人、私の人生において不在だったことがない人が、突然、永遠に去ってしまいました。なんという所在なさでしょうか。

しかし、人が亡くなると、やらなければならないことがたくさんあります。この1週間は葬儀の準備に追われ、ゆっくり悲しみにひたる時間もありませんでした。でも、そんな「ゆっくりひたれない」忙しいなかの細切れの時間で、少しずつ母の不在を確認する、というのが、心のダメージ少なく現実を受け入れる方法として結構よくできていると思います。

また、母を失った悲しみを共有するために、たくさんの人がお金と時間をかけてお別れにきてくれたことは、大きななぐさめと生きる力になりました。その人たちとの交流のなかで、私が知らない母との出会いもありました。

自分の葬式は簡単でいいとか、するなとか、生きているうちに言う人があります。でも、葬儀は死者のためではなく、遺された人がこの先も生きるための儀式だと思うので、遺された人の好きにやらせてほしいと思います。

 

だけど、私は生きていく

母は歩みをとめ、旅立ちました。

さよなら。生きる喜びも、難しさも教えてくれたひと。送る言葉は、「ありがとう」も「ごめんね」もなにか少ししっくりこない。ただただ、かけがえのない、どこまでも愛おしい人。

私はまだ、歩き続けなければいけません。そのなかで、あなたと共有してきた「業」をひとつふたつでも克服することができたらいいのかなと思います。

この喪失感を消化するのには少し時間がかかりそうですが、今日から、仕事も、生活も、再開します。そしてブログも。すぐに以前のペースには戻れそうにありませんが、ぼちぼち、再開していこうと思います。今後ともどうぞよろしくお願いします。